富士山マラソン:はじめての完走
前日譚
ランニングを始めようとおもった時のことは、当時書いていたブログのアーカイブが運よく手元に残っている。それによると2011年の5月に村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んで影響を受け、その翌週にはNIKE FREE RUN+ 2を買ったらしい。チョロいぜ。そして同年11月につくばマラソンに挑戦するもハンガーノックで途中から全く走れなくなり5時間59分という記録だった。
その後しばらくは走るのをやめていたが、2017年ごろからまた走り出したくなり、2018年1月にハーフマラソンに出場。しかし何も学ばないおれは7年前のつくばマラソンと同じようにハンガーノックで途中から全く走れなくなり2時間41分という記録だった。バカかこいつ。
2018年は地道に練習を続けた。といっても練習量は週末に走る程度でせいぜい月に50kmくらだし、そのくせ夏に膝を怪我して2ヶ月くらい走るのをやめたりもした。それでもフルマラソンくらい走れるのではないかという根拠なしの楽天が顔を出し、2018年11月の富士山マラソンに出場することにした(ネタバレ:ハンガーノックにならなかったし、無事4時間55分で完走した)。
スタート
スタート前後は、もうとにかく寒くて、これこのまま走ったら絶対足つるだろと不安だったし、走り出す前からずっとトイレ行きたかったけどスタート地点のトイレは行列だから少しの間我慢することにした。結構不安なスタートだった(最後まで足はつらなかったし、トイレに行かずゴールした)。
また、iPhoneでRunKeeperのアナウンスと音楽が聴きたいので片耳イヤフォンをして走ることにした。バッテリーは9時間もつはずだったのでスタート前からベタにtofubeatsのRUNなどを聴きつつテンションを上げていた(バッテリーは4時間で切れた)。
スタートからしばらく、上り坂まで
RunKeeperで毎kmのラップを聞けるのは非常に心強い。「ああ、ちょっとスタートのごたごたで遅れた分を取り戻そうとしてペース上げちゃってたな」とかすぐ分かる。
ただ特に今回良かったのは、Apple Watchで心拍数を取っていたこと。これも同じくRunKeeperのほうでアナウンスしてくれるので、まあ「あんまり心拍数が上がるのはよくない」みたいなレベルの曖昧な知識だったけど、心拍数ができるだけ150台で維持できるように調整して走った(最終的に170くらいまでいった)。
約22kmからの上り坂、とその10km後の下り坂
22km付近からは急な上り坂があって、周りのランナーはみんな歩いていた。おれが目標タイム5時間程度の遅いグループにいたせいかもしれないけど、走ってたのは1,2割くらいじゃないかな。もうその歩いてるランナー(ウォーカー?)が邪魔でしょうがなくて、おれの中の美川憲一がずっと「もっと端っこ歩きなさいよ」と言っていた。
下り坂を降りてしばらくしたところで、沿道のおじさんが「頑張ったよ!上り坂も下り坂も頑張ったよ!」と大きな声で応援していて普通に泣きそうになった。肉体的にも精神的にも追い詰められているところで優しい言葉をかけられるとこんなにも簡単に気持ちを動かされてしまうのか。これがブラック企業のやりくちか、と思った。学びがある。
最後の10km
最後の方のエイドステーションには自衛隊みたいな人たちがいて、「あとはもう気合っす!」みたいなことを言っていた。ふつうの人だったら「うるせぇ、じゃあテメーが走ってみろや」と思うところだけど、相手が自衛隊だと「そうっすよね・・・」みたいになる。ガチ感がある。
この辺はもう歩きたくてしょうがなかったので、「ここはまだエイドステーションのエリア内なので歩ってもよい」と自分ルールを拡大していて、エイドステーション後も数十メートルは歩いていた気がする。まだ地面が濡れてる気配があるので、ここはエイドステーション圏内。まだ歩いている人がいるので、ここはエイドステーション圏内。何人かに抜かされるとしょうがないのでまた走り出す。良心との戦いだ。
ゴール
あと1kmの看板が見えた時、ようやく終わりだという安堵感と、周りがあまりにも頑張れ頑張れと言うものだから、頑張ってしまおうと思った。しかし、いつまで走ってもゴールがない。あれ最後の1kmってたぶん3kmくらいあったと思う。これまでの1kmごとの案内標識も本当に1kmごとに設置してあったかはなはだ疑問だけど、最後のは3kmあった。
最後のひと頑張りの最後の瞬間、お腹が鳴った。ひどい空腹感。あのハンガーノックの感覚。めちゃくちゃ怖かったけど、もうあと数百メートルだったのでそのままゴールできた。今回はこれまでの反省を踏まえてしっかりとエナジージェルを5kmごとくらいに補給していたけど、最後の数kmはそれをおろそかにしていたせいだろう。あぶないあぶない。
ゴール後
マラソン後は、みんな地べたに座ってバナナを食べたり豚汁を飲んだりしていた。しかし、きっと多くの人たちと同じように、まず筋肉の状態的に「座れるか」というのが大問題だった。42km走りきったし、外は寒い。早くも筋肉は固まりつつあり、ちょっと変に負荷がかかったらすぐにでも足をつりそうだ。しかもすでに手には豚汁を持ってしまった。周りに人がたくさんいる。こぼすわけにはいかない。だから慎重に、しかし時に大胆に腰を下ろす。緩急。
しかし座れたからといって安心はできなくて、十数分したら立ち上がらなくてはいけない。もう豚汁はないが、寒空のなか地べたに座っていたせいで筋肉の硬直状態はひどくなっている。気を抜いたら上半身すら危ない。だから慎重に、時に大胆に・・・。
着替えて駅まで歩いてる間、寒すぎてこのまま凍えて風邪をひくんだと思った。しかしずっと昔にネットで見た「寒いと風邪をひくと思っているのは日本人だけだ、とアメリカ人の友達が笑っていた」みたいな真偽不明の情報を思い出し、おれの中の非実在アメリカ人が励ましてくれた。
駅からバスに乗って温泉に行った。最高だった。温泉のあとでは外もそんなに寒くなかった。
東京までのバスの中でApple Watchの心拍数を見ていると、平常時である50–60程度までは下がらず、ずっと70–80程度だった。マメができたりだとか、そういうケガみたいなものは何もなかったので、ただ大変な疲労だけがあった。渋滞の中ただ黙って座って、早朝に出発した秋葉原駅に戻った。もう夜だった。42km走るために1日かけて山梨まで往復してきたのだ。