参院選2019と社会に対するコミットメント

2019-07-27

7/21に2019年の参院選が終わった。前日には吉本の宮迫・亮会見などもあったりして、世間的な注目はおそらくそれほどでもなかったと思う。投票率も50%を下回って戦後2番目に低かったらしい。でもおれは真面目に選挙のことを考えて実際に選挙に行った。なにせ今回は選挙前にNetflixの『レボリューション -米国議会に挑んだ女性たち-』を見たし、選挙後には『ブラジル -消えゆく民主主義-』も見た。政治熱が高まっている。

前回の2017年の衆院選に自分がどこに投票したのかいまいち覚えていない。そもそも投票に行っただろうか? だから今回は忘れないように書いておくと、選挙区(東京)に塩村文夏さん、比例にれいわ新選組に投票した。選挙区に関しては、出来るだけ若い人か女性にしようと思ったので、当落線上にあると考えられていた候補者のうちその両方を兼ねていた人にした。比例は障害者の候補二人を当選させたかったのでれいわにした。その二人は当選したし塩村さんも当選したのでまあ良かったのだけれど、彼女は割と余裕で当選したので同じく立憲の山岸さんにしておけば良かったかなーと少し後悔した。

おれは充分に運がよかった

どこに投票するかにあたって、一番重視したのは社会的弱者や少数派の側に立とうとすること、多様性を認めようとすることだった。おれ自身は今のところ障害者ではないし不快なセクハラやパワハラされた経験もないし学校ないし家庭もないし、女性でもないしLGBTでもない。しかも先週は紀ノ国屋で1瓶1500円もする蜂蜜を2瓶も買うようなスーパー富裕層ですらある。カーテンもある。

でも大学卒業後の数年ニートになり、親の金で暮らしていながら自分の人生はこの先どうなってしまうのだろうと悩んでいる時期もあった。どうにかしなくちゃいけないことは分かっていても、怖くて不安でどうにもすることができなかった。訪れたウェブサイトの片隅に「採用情報」のリンクを見つけると心臓がバクバクしたのを覚えている。来年また自分があのような状況になっていないとは断言できないし、あの状況よりも数段ひどい状況に今この瞬間も置かれている人がいると思うと本当に辛い気持ちになる。そういう人たちを自己責任だとか運が悪いだとか言って突き放さずに安心して暮らせるような社会にしなくてはいけないと思った。

少なくとも彼らはそう主張している

政治家が実現可能性の低いことであったり綺麗事を言っていると「あれは人気取りのために言っているのだ」とされることがある。単にそういうことを主張すれば有権者受けするから言っているだけで実現はできないと。でも少なくとも彼ら/彼女らはそれを主張しているじゃないか、と思う。

東大でのスピーチが話題になった上野千鶴子さんが「社会変革っていうのは、タテマエを変えること。本音までは変えられない」と言っていた。少し文脈は違うけど、実際政治家たちが本当のところどう考えているかは分からないし、それを考えてもしょうがない。例えば原発ゼロにしますって言ってる人たちが本当に出来るかは分からない。でも原発ゼロにしますって言ってない人は原発ゼロにはしないのだ。だからそうして欲しいならそう言っている人たちに思いを託すしかない。当たり前のことだけれど。

世の中のために自分ができること

おれもこうして30過ぎてようやくある程度真面目に政治のことを考えるようになった。だから若い人の投票率が低いって言われたって、まあそうだよなという感じがある。そんなことより目の前の自分の問題が大事。いつまでたっても傘がない。

アフリカや中東や世界のどこかで病気や栄養失調の人たちがいてもおれには直接関係がないけれど、おれは2016年から毎月給与の1%を国境なき医師団に寄付している。マイクロプラスチックが海に大量に流れ込んでもオランウータンの住処がなくなってもおれには直接関係がないけど、最近ではWWFにも寄付をしようかどうか考えはじめている。

この世界がより良くなるために自分が何かしなくてはいけないと思いはじめている。いっぱしの大人だぜ・・・。